京急1000形  [引退]
1959年に登場した都営地下鉄線乗り入れ用の車両です。
1959年〜1968年に製造された車両と、1971年〜1978年に製造した車両に大きく分けることができます。両者の違いは冷房の種類(分散式・集中式)やモーター出力、台車の種類で判別ができました。
京急の顔として、50年以上にわたり活躍していましたが、2010年6月を以って営業運転を終了しました。
1986年より廃車が開始され、淘汰には25年近い年月が経過したことになります。
なお、一部の車両が電動貨車に改造されたほか、高松琴平電鉄へ1080形・1300形として譲渡されており、一部の機器が京王からの譲渡車に転用されています。
引退から4年が経過しましたが、京急ファインテック久里浜事業所に2両保管されており、今後どうなるのか注目されています。


製造期間 1959年〜1978年
製造数 356両
制御装置・
モーター出力
抵抗制御・
75・90kW
営業最高速度 110km/h
運用実績区間 京急全線、都営浅草線、京成本線・押上線・金町線・北総線
編成呼称 2M・4M・6MA・8M


1000形写真館
2008年10月末まで、朝夕ラッシュ時に1000形の優等運用がありました。
最後まで残ったのは朝の9B→9Aと、夕方の都営線直通快特です。

新1000形の増備で定期運用は消滅してしまいましたが、その後数回代走で1000形が快特として運転されたことがあります。

定期優等運用離脱に先立ち、2008年7月ごろに8両・2両固定編成の編成組み換えが行われ、4両編成を3編成と改組されました。
 かつては大晦日〜元日の終夜運転で京成線まで乗り入れており、6両編成が横浜−高砂間を往復していました。
昭和の時代には成田山への初詣列車として成田行の臨時特急が運転されたり、2000年代初頭まで、金町線への直通列車も運転されていました。
2008年2月25日〜2008年12月23日まで、1309編成が「110周年ありがとうギャラリー号」として、戦後間もない頃の車両をモチーフとした、朱・黄のラッピングが施されました。
車内には子供の書いたイラストなどが展示されました。
6両編成のため、本線の普通で使用されたほか、8月2日には花火大会の臨時列車として、新町行きの臨時特急で使用されました。
2008年2月25日〜2008年12月23日まで、1321編成が「110周年歴史ギャラリー号」として、デ51型をモチーフとした茶色のラッピングが施されました。
車内には京急110周年を振り返る展示がされました。この編成はほぼ大師線専用運用でしたが、ダイヤ混乱時に2回だけ本線のB特として使用されたほか、運行最終日には品川−新逗子間を走行しました。
過去にはラッシュ時の特急・快特にも多く使用されていました。
この写真は2006年に撮影したもの。白幕車は引退したものの8両編成も存在し、ラッシュ時の特急・快特でよく見かけました。
1959年〜1968年までに製造された車両は、冷房を後付けで設置したため分散クーラーで、幕が白地だったため「白幕車」と呼ばれました。

写真の1219編成は2005年に廃車。最後まで残った編成です。
こちらは川重製で、OK-18台車に三菱製の電装品を装備した車両。
低速時に唸るモーター音が人気がありました。
整備上の問題からか、2002年春に全廃されました。
 白幕車の晩年は、主に金沢文庫−京急川崎間の普通運用が多かったように感じられますが、時折浦賀まで乗り入れることもありました。
 2008年の京急鉄道フェスタにて。
110周年記念ラッピング車が並び、左の110周年歴史ギャラリー号のほうは貸切列車として久里浜送りされました。
 2010年の鉄道フェスタにて。
翌月にさよなら運転が行われました。
2014年現在も解体されずに保管されている1351・1356。
無架線地帯に長い間留置されていますが、時々動かしているようです。
 冷房改造車(白幕車)の運転台。製造時期による差異はあまりありませんが、白幕車と黒幕車ではワイパーの形状、各種確認灯の形状に差がありました。
前照灯の光軸切り替えはマスコン下の足元にあるペダルで切り替えていたそうです。
 製造時期により細かい差異はありますが、車内のイメージはどの車両も同じようなものでした。
集中冷房車は冷房が寒いほどに効いていました。